日進製作所の歴史【1】

それは、社内の “困りごと” から始まった!

「ホーニング盤」開発・製造の歴史

日進製作所では昭和30年代から、精密部品加工を行うために必要な工作機械を自社で開発してきました。その一つが超高精度穴加工を行うホーニング盤であり、現在、 自動車やオートバイ、汎用エンジン、油空圧、家電、金型、ミシン等の部品加工に使用されています。今回は、当社がホーニング盤の開発・製造を行ってきた経緯をご紹介いたします。

地の不利 転じて、地の利を得る

販売1号機の堅型2軸ホーニング盤

販売1号機の堅型2軸ホーニング盤

当社は北近畿エリアに拠点を構えていたこともあり、都市部から遠くビジネスを展開するうえで常に「地の不利」を抱えていました。例えば、社内で使用している工作機械でトラブル等の“困りごと”が発生すると都市部からの出張対応となり、生産を再開するまでに数日を要していました。その “困りごと”の解決策として、機械メンテナンスの自前化・手の内化に取り組んでいたという背景があります。この地理的な不利がむしろ功を奏する面もあり、設備や金型、治工具などは自前で調達・整備していくという、今に繋がる内製化主体の流れもその一環で行われてきました。

昭和35年、はじめて自社で輸入機械である「ホーニング盤」を導入

当社がはじめてホーニング盤を導入したのは、昭和35年のことでした。それは大阪の商社が輸入した海外製のホーニング盤で、すべてが手動の横型ホーニング盤でした。当時の価格で30万円程度、他の機械と比較するとかなり高価ではありましたが、穴精度を向上させるために設備導入に踏み切ったのです。

性能に満足できず、自社でホーニング盤の開発に着手

はじめて導入したホーニング盤の性能は、満足できるものではありませんでした。作業者の腕により、加工精度が大きく左右されたのです。そこで機械開発担当者は購入した機械をモデルとし、社内製の横型手動ホーニング盤を開発することにしました。

当時は部品の受注が急増し、ホーニング作業者も30人以上に増えました。しかし作業現場はいわゆる“3K職場”といわざるを得ず、きつい・汚い・危険という言葉の通り、作業者にとっては大変過酷で厳しい環境でした。

そこでこの悪条件からの脱却を狙い、苦痛を伴う作業の解消と、誰がやっても簡単に精度調整できることは勿論、更にワンランク上の精度に対応できる設備の実現を大きな目的とし、ホーニング盤の開発が進められました。地道に研究と努力を重ねて誕生したのが、竪型2軸ホーニング盤です。その後、改造を繰り返しながら、社内でその性能を見極めていきました。

内製からはじまったホーニング盤が、第3の柱へと成長

創業時、当社の第1の柱であったミシン部品、第2の柱に成長した車両部品に続き、自社の “困りごと” 解決策として開発した「竪型ホーニング盤」は第3の柱にまで成長していきました。長年、設計から製作まで手掛けてきた社内専用機の実績と経験を踏まえ、昭和47年(1972年)11月、命運をかけた販売用のホーニング盤製造を開始し、社外向けとして実際に販売しはじめたのは昭和48年(1973年)のことです。栄えある初号機の販売先は、同業でもある大阪のミシン部品製造業者でした。この機種は「130型」とし、ミシン業界では「ミニホーラー」という愛称で呼ばれておりました。
この機械は安全に作業ができるうえ、省力であるため手動型のホーニング盤よりも良いという評価を受けました。

そして、当社のホーニング盤は、高精度内径加工機として広く市場で認められることになりました。

また、「竪型ホーニング盤」を社外向けに販売を開始して、今年(2023年)でちょうど50年を迎えます。
これからも、これまでと同様にみなさまに存在を期待して頂ける企業として、みなさまのお役に立てるホーニング加工を提供してまいります。